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日本の少子化の原因を私なりの解釈で探りたいと思います。

短絡的な答えの出し方ではなく、主に「遺伝子の適応」に着目していきます。

 

① 少子化の原因とは

 

少子化とはなぜ起きるのでしょう。

wikiには「未婚化や晩婚化などに伴う晩産化や無産化」とあります。

では単純に子供を産む家庭が減った原因はなぜでしょう?

ここからが難しいですね。

女性の社会進出でしょうか?

非正規雇用者の増加でしょうか?

子育て・教育費の増加でしょうか?

若者の性離れでしょうか?

これらの現代チックな感触を持った現象は何なのでしょうね。

「いろいろな原因が考えられますが・・・」と言いたいところですが、その区分のニュアンスではなく、根本的な「一言でいうならば!」と行ったものはないでしょうか。

私の素人まがいの研究ではありますが、ズバリ言いたくなる少子化の根本原因は「飽食」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

② 遺伝子の進化適応

 

皆さん、生き物は進化(現代では「適応」と言います)しますがどういう仕組みか知っていますか?

少子化と関係性がありそうなので、少し説明させてください。

 

「生命」という区分よりももっと前に因果関係があります。

植物の進化の仕方も同じですね。

まわりの環境に遺伝子レベルでの適応がおこなわれ進化してい

くと言うものです。

始祖鳥やコウモリの羽の上に指がついていますね。

飛ぶ生き物になる以前は地上で生きる生き物であった証拠です。

人間の時間軸のスケールでは信じがたい長い時間が流れ、進化

適応させたことを物語っています。

 

水辺で生きるカバならば、現在水の底を歩行しています。

水中での重力が関係して、そのうち足が不要になっていくのが適応です。

時間をかけて「トド」や「クジラ」のような形の生き物に姿を変えるかも知れませんね。

 

劇的な環境の変化があれが、もっと短い時間で進化するのかもしれません。

人間と同じ類人猿の「サル」などは、停滞という進化適応をし続けていると例えられるのかもしれません。

混乱しますが要するに、人間とサルは同じ枚数の進化のカードを切ってきたと例えられますね。

植物も同じ進化をするのだと思います。

ジャングルの臭い花などが咲いている場所ではハエが集り、近くの植物がハエトリソウなどに進化適応するメカニズムが働いたりするのではないでしょうか。

 

ジャンケンで例えればグーがライオン、チョキが単体の鹿だったりします。

チョキの鹿はグーに負けてしまうので、群れることや早く逃げることでパーに変化します。

その状況に適した形にいろいろな生き物が形を変えるので、地上には様々な生き物が生息するわけですね。

 

そういう遺伝子の進化適応の理屈はしっかりと存在します。

東京大学の論文で初めて知ったときはかなりショックでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

始祖鳥

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③ 人間の環境への適応
 
この遺伝子レベルの環境への適応は人間にもあるのでしょうか?
この間テレビで興味深い言葉を言われている芸能人の方がいらっしゃいました。
その方は人気芸能人のマツコ・デラックスさんです。
こう言われていました。
「最近の芸人には大物感がない!」
ぼんやりテレビを見ているレベルでは、なかなか気がつかないでしょうかね。
いや芸人さんだけではなく、有名人全体、いやいやもっと若者全体に何というか昭和の大人達の様な「大人びた風貌」がなくなり、若々しいと言いますか、頭のよさそうな小ざっぱりとした風貌に変わったと思いませんか?
昭和の大人は「情にもろい」と言う感覚・感触でとれます。
「昭和の文化の感じでしょう?」と思われるかもしれませんが、高倉健さんの様な任侠映画ですら似合うような風貌の若者は、ハッキリとした物理的な視点でも皆無と言っていいのではないでしょうか。
逆に若者の風貌は、さっぱりと軽くそして才能の面に秀でている感じがします。
「最近の若者はプライドだけが高い!」という言葉も耳にしました。
それは「高く見える」ように目立つ現象だと考えます。
昭和以前の人はどことなく感覚がウォーミーな印象がありませんか。
伝わりづらいですかね。
簡単に言うと「田舎っぽい・古臭い」と言う感触の中に含まれているやつです。
最近の若者にはその部分がないのだと思います。
よく言うと近代的。悪く言うと人間味が薄いに当たるでしょうか、そういう感触ですね。
ここが大事です。
皆さんも薄々感じ取っている現代人と昔の人との雰囲気の差は何なのでしょうか?
時代が進んだだけなのでしょうか?
もっとハッキリと顔つきや体格の感じが違うところに注目していただきたいです。
この差を生んでいるのは「飽食への遺伝子レベルでの適応」だと私は睨んでいます。
 
険しい環境で育った植物は強く育っておいしい実がなるらしいです。
また手塩にかけて丹念に育てた野菜なども、違った意味でおいしいでしょう。
この二つの違いこそ、昭和以前と現代人との違いじゃないかと思っています。
その違いは遺伝子のレベルで飽食に適応しているんじゃないかと思うのです。
戦後の強く生きなくてはならない時代は遺伝子が強くなり、飽食になるとリアルに強く生きる意味が失われるのが生命理論の根本だと思います。
生態系は弱肉強食という表現があいます。
地球上の生き物は「生きる」という表現より「湧く・湧きかえる」の方が、進化の理論を含めてくると適切な表現になる気がします。
一見おとなしそうに見える草食動物にも角があり闘争本能がありますね。
猿の群れのボス猿は、二番手の猿といつも激しく争っています。
その原理にそのまま応じているのが「人類の戦争」ですね。
すべての生き物がエリマキトカゲのようにエリを広げて威嚇するような進化を遂げるのが、遺伝子の適応の原理なんです。
人間は祖先が猿で、知能での協力やコミュニケーションに特化した生き物なので、戦争を反省したり、愛のカラーが社会の中に顔をのぞかせたりしますね。
 
人類は農業・産業革命を経て近代化しました。 
近代化し、物があふれて贅沢の感触の高い生活をしたらどういう進化適応を遂げるのか、まだ人類は経験していないのだと思います。
      
 
  
                                
 

 

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④ 生殖機能の低下
 
現代では男性の生殖機能の低下が問題化しています。
日本なら「草食系」と言う人たちが出てきましたね。
原因は男性ホルモンの低下だそうです。
なぜ男性ホルモンが低下するかと言うと、ストレスや喫煙など様々なことが言われてきていますが、もっと根本的に「飽食・近代的な感触への適応」ではないかと思います。
 
頭の禿げている男性は男性ホルモンが多いそうです。
そのために禿げている人は明るい人が多く、仕事の面でも「精力的」と見て取れる方が多かったりします。
仕事などの活動力を=「精力的」と表現する日本語は深いですね。
昭和以前の人の顔の作りは濃いというか力強いというか、何というかの表現が当てはまりまね。
現代人の顔は、淡くシャープで賢い印象です。
戦後の強く生きる必要かある時代には、遺伝子が厳しい環境に適応して精力的な人間に変化すると思います。
飽食の時代はその逆ですね。
昭和の人たちから見ると現代人と言うのは「しっかりしなさい!」と言いたくなる対象なのではないでしょうか?
でもそうはいかないのが「知覚不能な遺伝子レベルで現れる人間の主体性」ですね。
時代や国々によって変化し続けます。
草食系と言う人たちが現れたのも、そういう人たちの世界観などではなく、現代人全体に現れる遺伝子レベルでの生命力の数値が関与しているからだと思います。
逆に現代っ子にも優れている点が現れていそうなのが生命論の面白いところですね。
現代人の「善や正義」は昭和以前の人たちと比べて「線が細く鋭利な感じ」がします。
しかしその感触を省いた生命論内の倫理とも取れる要素には「やさしさ」を感じます。
頭の良さも感じますね。
裏を返して悪いニュアンスでの表現も可能だったりするのが物事の見方だったりします。
 
時代が育む遺伝子レベルでの変化を意図的に操作するのは不可能に近いと思います。
よって生命も植物も、厳しい環境に晒されて生きる局面では、強い生命力が現れるということなのです。
 
 
 
⑤ 大消費社会とは
 
政府は消費意欲を煽りますね。
それもそのはず、消費意欲があれば社会が活性化して全体が潤うのが資本主義ですからね。
それが大原則です。
でも、そういう大消費社会に警鐘を鳴らすのは、何らかの「思想」であったりしますね。
「消費=豊かさ」「豊かさ=人口増加」などもあって、多くの人間が豊かに暮らしていける世界を作るとなると「消費社会」の選択肢も有りになったりするのが「人間の知能が打ち出す答え」だったりします。
当たっているか外れているかは大変見分けるのが難しいですね。
 
私は中年の大人ですが、学生とチャットサイトを作って集まってみんなで楽しむと言うのを5年ほど続けています。
最近の若者の考えていることがよくわかって勉強になりますね。
いつも気がつくことがあります。
チャット仲間の学生は「あ~暇だなぁ」をみんな連発するんです。
何か違和感を覚えるのは、自分の時代には無かった感覚の様な気がするからなんです。
かと言って、物があふれている現代ではスマホのアプリでも無料で使い放題のような、私の若い時代からすると夢のような時代ですね。
でも何かが違うんですね。
今現在、自分が置かれている環境に応じた主観的感覚と、身近に起こる楽しい出来事には何か相対率とでもいいますか、感覚の倍率の変動の様なものがある気がします。
現代の最高のオンラインゲームを楽しむよりも、戦後の紙芝居や力道山の空手チョップの方がリアルに歓喜量が高い気がしますね。
「普段の生活の期待値が低いからじゃないか?」と言うとり方もできますが、もっと適応性や目的や夢に向かう充実感があったりするので、昔のような生活と現代とでは大雑把に言うと良さと悪さが裏腹になっている気がします。
 
飽食に適応するというのは、未来はどうなることなのでしょうかね。
単純に分ることと言ったら、生命力だけを無理やり抜き取った値での低下(裏腹にメリットが存在する)や、思想の質の低下、それらに応じてたがゆえの社会的メリットと、なにかいろいろな変化が見え隠れしています。
若者が農業や力仕事に手が出せない体質になっているのも、遺伝子レベルの問題が絡んでいると思います。
非正規雇用者の増加や、会社で宇宙人と言われる若手社員の登場なども、同じような化学の原理が絡んだ原因があると思います。
それは主に現代人の精神面や健康に現れるでしょうね。
おそらく90年代から現れるようになった「学級崩壊」と言う現象も、同じ原因に端を発していると思います。
その年代あたりから、大人の顔つきに涼やかな若々しさが現れて、親子に兄弟姉妹の様な関係性が現れ始めた頃だと思います。
こういう現象の行く先を読み取るのは難しいですね。
悪くなっていっているようでメリットを含んでいるので、猛烈に難しい計算になります。
 
私から一言いえることと言えば「人間には、ほのかな厳しさくらいには応じる生命的なスタンスくらいは必要である」と言うことくらいでしょうか。
 
 
 
アンカー 4
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⑥ 適応の速さ

 

動植物の適応のスピードってどれくらいなのでしょうね?

私はは専門家ではないので詳しくは分かりません。

過去に得た情報をもとに、素人まがいの分析をしてみたいと思います。

 

人間でいえば50~60年代あたりから、女性の見た目に応じるデザインをも含んだ体つきが違うと思いませんか。

マリリンモンローさんの時代くらいまで彫刻や絵画を含めて丸いくふくよかなデザインをしていると思います。

現代の女性の体つきはシャープで時代のカラーと溶け合っていますね。

観月ありささんが登場したあたりから、八頭身美人の現代版の凄さに値する感覚が見て取れる女性が現れ始めました。

「最近の若い子はスタイルがいい」と漠然と思うかもしれませんが、「どうしてそういう子が現れ始めた?」と言うことを本格的に疑問視する思考と言うのは、人間の標準の頭脳の利回りにとって不自然なのかもしれませんね。

こういう方の身長はおろかデザインを含んだ値は、「食生活が変わったから」と言う単純な考え方はどうかと考えます。

もっと他人の見た目に応じる感触の分野が含まれていて、食生活だけで変わるかどうかは一言では言えない気がします。

「美貌=種の保存での生き残り型の適応」と言うことくらいは現代科学でも分かります。

 

もっと「進化適応なのか?」と取れるかのような不可解な現象が見受けられるからです。

昭和には存在した「えくぼ」と言うのが現代では消えてなくなっています。

戦後の厳しい時代を生きた世代には、眉毛や鼻の横にイボのついている気が強く頑固そうなお婆さんが良く居ましたが、現代では見受けられなくなりました。

裏を返せばイボと気の強さ・荒さに因果関係が存在すると逆算出来るのが科学的思考だったりしますね。

水泳選手の北島康介さんは「長年水泳をしているので、指の間に水かきがある」と言うのをテレビで披露していた番組を見たことがあります。

ぼんやりと聞き流しそうな話ですが、ちゃんとした科学的な理由があるかもしれませんね。

違う番組では、自然界の猿が口に合う葉っぱだったのか食べまくってしまい、木から葉っぱは無くなりそうでした。

するとその植物は、たったの二週間で葉っぱを毒がある状態に進化させて、猿に食べつくされる危機から脱するというのをNHKで見たことがあります。

よく観察すると、こういう短い期間での変化が起こり得ると言う現象を発見したりしますね。

飽食や現代の感触に適応して、何らかの変化が起こり得るというのもまんざらではない気がします。

 

 

 

 

 

 

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⑦ イデオロギー(観念)無き値

 

少し気がついたことがあるので付け加えます

世界の先進国では、男性の生殖機能が低下していることが言われています。

単純明快に男性ホルモンの高そうな人が持つ「特徴」と対極にあたる感覚が現代人のニュアンスであることに気がつくべきです。

その軽くさわやかな現代人の風貌は日本だけにとどまらず、アメリカや韓国の若者をみても同じことが言えそうですね。

ただ一つ日本と世界との違いがあります。

「イデオロギーの値が打ち出すメリット・デメリット」ですね。

韓国の若者を見ていると、日本人と同じく軽くさわやかな風貌に現代ではなっているのですが「受ける感触」が違います。

中国の方が言われていた言葉を思い出しました。

「日本人より遠くの西洋人の方が考え方が理解できる」

と言うものです。

なるほど「日本の常識は世界の非常識」とよく言われますが、そこの理解を体感で得るのはなかなか難しいものですね。

やはり日本と言う国はイデオロギーが無いが故のメリットとデメリットを抱えている国だと思います。

どういうところが?と言うのは少子化論なので省きますが、なかなか一言では表現し得ない深い世界の話になりますね。

この国の感じをよく「平和ボケ」と表現する方がいますが、あの感じこそイデオロギーの無さ(良くも悪くも)が絡んだ感触だと思います。

平和ボケを良いことなのか悪いことなのかを一言でいうのは難しいでしょうね。

何事も裏腹の答えを内包するのが論理だったりします。

なぜ最初にアメリカや韓国の若者との違いを書こうと思ったかと言うと、日本の若者の生殖機能の低下には、先進国基準の「飽食への適応」と、もう一つ日本ならではの「イデオロギーの無さに応じている文化からくる若者の実生活の感覚」の二つがダブっているような気がします。

二つ目の「イデオロギーの無さに応じている文化」と言うのは、簡単に言うと飽食との関わりあいでニートなどを生み出しやすいかもしれません。

逆に個人で高いスキルに応じる若者も生み出しやすいかもしれませんね。

自分の好きことに没頭すると言うことは、天才のような人を生み出すための大事な一要因だったりします。

かと言って「非社会的」な人間も生み出しやすく、若者の生活力が低くなり「子供は作らない」と言う心理面が生まれやすくなります。

このあたりが日本の少子化のスピードが速い原因だと思います。

簡単に言うと、アメリカや韓国の若者も飽食に適応して

生命論のレベルでの生殖活動の低下はあるのでしょうが、

人生に対するモチベーションの高さを維持できる文化の

感触だったりします。

その方が単純に生活力の高さが現れやすくなります。

日本の方は「平和ボケだ!」の一言に代表あれるような

「ビビットなとでも言いますか、甘い感じと言いますか」な

感じです。

表現方法が難しいですね。

なにせ良くも悪くも「治安の良い平和な感じ」です。

その感じは日本人は「外国にはない感じ」と言うことを意外

に知りませんね。

この平和な感じの中には「無邪気さ」に代表される面白い倫理感を含んでいるような気がします。

その部分を保ちながら外国人さんの様に「物事に対する真剣さ」が出るようになったらベストの様な気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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⑧「一人っ子=少子化」の情報源

 

近代国家では子供の人数が義務付けられることはありませんが、学校の教育で「子供一人=少子化、子供二人以上=少子化は起こりにくい」と言う情報源を皆さんの頭の中に入れて頂くのが簡単で有意義な少子化対策だと思います。

人間は男女に半分づつに分かれているので、すべての家庭が子供の数を最低二人は産まないと人口減少につながります。

簡単に見つけられそうな情報源にもかかわらず、意外と盲点ですよね。

この「子供は二人以上」の情報を頭に入れておくのは面白い心理を生み出しそうな気がします。

国民に「一人っ子=少子化に加担してしまう」と言う理解を与えると言うのはちょっと民主主義の自由に反する気がしますが、近代の大人口を抱えた国ではこういう理不尽な不自由とのせめぎあいがどこかでは生まれる必要性を帯びがちです。

こう言う理不尽さとのせめぎあいは、民主主義の大きな課題ですね。

大局的に見れば、心の無い政策である「言論統制」や「情報操作」の様なものが功を奏しかねないのが人間社会です。

大多数で生きる生き物の悲しい条件だったりしますね。

投資の世界など、そういう部分がシビアです。

不安材料は国の利益を大きく損なう恐れがあるので、もはや政府は国民に(悪気の無い)嘘をつく必要性に迫られたりするのではないでしょうか。

民主主義の悲しい性ですね。

この手の理解を国民が得るのは大変だったりします。

長い時間をかけてみんなで進歩するしかないのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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⑨ ゆとり教育とは

 

ゆとり教育について考えてみたいと思います。
「少子化と関係があるのか?」という声が聞こえてきそうですが、私なりに論じてみたい部分があるので書きたいと思います。
先づ「詰め込み教育」はまずい!と言う論調に対して現れた解決策が「ゆとり教育」ですね。
「詰め込み=頭ごなし」のイメージでしょうか。
外国の方がよく「日本の教育は軍隊みたい」と言われる方が多いのも、そういうイメージからですね。
なので解決策が「逆にゆとりを持って勉強をしよう!」になるわけです。
一見あっているように見えて間違っていると思うのが私の意見ですね。
他の国と違ってなぜ「詰め込み教育」が生じていたか?という部分を見つめる必要があると思います。
私の見方では「日本人は自発性が現れにくい」という特異な文化や民族性が生まれる道筋を通ってきていると思いますね。
そこに良い意味まで含まれていて、一言では言い表せない変わった民族性になっていると思います。「出る杭は打たれる」に内包されているような「一歩引く・譲る」といった感覚があったりしますね。

詳しい原理は省きますが、西洋の「自発的」に対して劣勢と感じるのが日本人の得意な「協調の値」なんです。
万葉集に「葦原の瑞穂の国は神ながら 言挙げせぬ国」とありますが、簡単に解釈すれば「理論武装しない国」でしょうか。
最近の日本はグローバルな時代なので、十分と言っていいほどイデオロギーを重んじると言えなくもない気がします。
でも、なんとなく変わった感じを受けるのが「日本人のイデオロギー」の感触ですね。
どことなく独特です。
この感じに対してピンとくる言い回しは「協調に属するメリットの値を無意識に足蹴にすることと引き換えに得られるイデオロギー文化」でしょうかね。
何か猛烈に複雑になっていて、一言では言い表せない「不思議な感じ」なのが日本人のイデオロギーの持ち方です。
この「不思議な感じ」の根本に居座っていそうなのが「日本人の自発性のなさ」でしょうか。
いい言い方をするならば「協調を支えている値」でしょうかね。
そんな感じの表現をしたくなります。
要するに何が言いたいかというと、ゆとり教育に走ってしまうと、協調の値からくる「石頭」の様なデメリットはなくせる反面、自発性の無さがむき出しになり「甘やかし教育」の様なものに成り果てる気がします。
かと言って「詰め込み教育」をよしと言っているわけではありませんよ。
自発性のなさの良い部分をも含めての歴史をたどってきた日本民族に「ゆとり教育」はニートに代表される「偏った自由」を生み出しやすくなります。
そういう構図が出来ている気がします。
なので若者に経済力が生まれにくく、少子化の原因に加担している気がしなくもありません。

「詰め込み教育」の問題点の解決策は「自発性を育てる」なのだと思います。

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⑩ 貧乏の子沢山

 

日本には「貧乏の子沢山」という言葉があります。

現代は不景気で労働賃金も減り、子育に弊害が出ていると言うのは「現代人ならではの体感値」なのかもしれませんね。

確かに昭和の母親の方がママチャリに子供を2〜3人乗せてパートにも出て、言うなれば「手を汚し得る率」が高いですね。

逆に現代人の方が生命論のレベルでも第四次産業に向いているのかもしれません。

ではなぜ貧乏な時代の方が各家庭に子供が多いのでしょう?

世界的にも人口爆破が起きているのはアフリカだったりします。

先進国も経済成長中までの生活のレベルの方が出生率が多いです。

衛生が完備されてなく、死亡率の高い様な生活の感覚の方がどの国の歴史を見ても人口が増えてきたようです。

正確な理由はわかりませんが、その方が人口が増えるようですね。

少子化の細かい理由はいろいろ考えてられるかもしてませんが、裏を返したように存在する「生殖機能の低下」というのが理由の一つのヒントなのかもしれません。

経済が好転して労働賃金が上がれば、子供も増えて少子化が改善されたように見え出すかも知れませんが、根本的な原因を他の要素が補っただけと言い得るかも知れません。

現代型に遺伝子が適応した国の人間は「少子化と手を汚しえない率」と引き換えに、第四次産業の勝者になるのかも知れませんが、どの時代の人の生活の感触がベストなのかと言う探求も、未来の人の課題なのかも知れませんね。

 

アンカー 10
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